服ればについて振り返る(経歴)

3月急に暑くなったと思ったら、やっぱり急に寒くなったね。
そして、ついに花粉症が悪化。
ひどい人ほどではないが、くしゃみも連発するようになったし、
鼻の奥もかゆかったりする。


さて、それはとりあえず置いといて。
ブログも移転し、最近自分を知ってくれた人もいるので、
一部ちょっと振り返ってみる。
(その人が見ているとは限らないが。。。)


じゃ、服ればを少し振り返ってみようか。


『服は着てればいい』は2006年2月に結成。
つまりもう7年経つ。
ドラムのユキヲがその前に組んでいたバンドを脱退してから、
しばらく経ったあと、ギターをやってみたいということで
試しにスタジオに入ってみたのが始まり。
#バンド名はユキヲがつけた。


結成当時の構想としては、ユキヲがギターボーカルを行い、
俺がギターやって、もう1人ドラムを入れて3ピースでやるといったスタイル。
なので、しばらくはスタジオに入りつつドラム探しを常々やる状態だった。



ドラムがなかなか決まらず、踏み出せない状態がしばらく続いたが、
2008年に『滑稽のドア』の光さんがサポートで叩いてくれることになり、
2008年5月ようやく初ライブを決行。
それから2008年は数本光さんサポートでライブを行う。



2008年10月のライブで光さんサポート満了となり、
またドラム探しを行うが、やっぱりなかなか決まらない。




そんななか、ユキヲがmb(ミリバール)という2ピースバンドを
観たことにより触発され、ギターを俺、ドラムをユキヲにし
2ピースでやろうという話が沸き上がる。



自分は当初かなり渋ったが、ライブも決まってしまったので腹をくくる。
そのライブが2009年4月。



そこから2009年、2010年は2ピースのスタイルで結構ライブを重ねることとなる。
主に横浜か中央線沿いをよく廻る。


2010年10月には『滑稽のドア』、『ザ・貧困ズ』との合同企画『最終図書館フェス』という
横浜F.A.D、横浜Club Lizard、横浜B.B.STREETの3会場に各10バンド入れて、
3会場行き放題にするという大きなイベントも行った。
#『服は着てればいい』は横浜B.B.STREETを受け持つ。


しかし、2011年1月に活動休止。
2011年はお互いの個人活動を行う。
※俺は『Orange Butter Candle』のサポート、『野田サリー』の結成/活動。
 ユキヲは『bonito』、『紅茶姉妹』の結成/活動。


当時活動再開の目処は全く立たず、このまま消えるかと思いきや2012年2月活動再開。


ライブは活発期に比べだいぶ少ないが、ちょくちょく行い、今に至る。



ざっとこんな感じか。
せっかく再開を果たしているので、これからもっと邁進したいと思う所存。