3/13 野田サリー企画@新宿Wild Side Tokyo ~その他~

この日はありがたいことに盛況でフードは完売したし、
新譜も結構売れた。ドリンクも有り得ない量が出たらしい。
あの日に関わったすべての人に感謝である。


今回この企画を迎えるに当たって、
まぁそれは色々考えたり思うことがあったりしたのだけど、
そのなかで4年半くらい前にやった『図書フェス』を思い出すことが
多かったんだよな。

図書フェス、2010年10月9日の『最終図書館フェス』のことだね。
まだ自身が前身バンドの「服は着てればいい」をやってた頃で
この図書フェスは横浜F.A.D、横浜Club Lizard、横浜B.B.STREETの
3会場を借り切って、各場所10バンド集めて合計30バンドのフェスを
やるというもので、「服は着てればいい」は横浜B.B.STREETの
元締めをやったんだよね。
#ちなみに全体の主催はミケラでそいつがやっている「滑稽のドア」は
 横浜Club Lizardの元締めだった。

この写真はそのときの横浜B.B.STREETの看板ね。

イメージ 1


今思うとこの図書フェスの布陣もなかなかだったんだよね。
今の野田サリーメンバに関してだけでも、
タカシさんは横浜Club Lizardで「ガブル」のドラムサポートで叩いたあとに、
服れば(「服は着てればいい」の略)でも叩いてもらったな。
#この日の服ればはギターとドラム2人のダブルドラム構成にしていた。

ヤマパンは「fabrica」で横浜B.B.STREETに出て頂いたし、
でんぷんくんは「マニー&ザ・ピーニーズ」で横浜Club Lizardに出ていたし、
ミケラは前述の通り。

サイキックブルーズも横浜Club Lizardに出ていたんだよね。


自分は元締めやってる立場だったから、他の会場を観る余裕はなくて、
B.B.に関してはまぁそれはそれは楽しかったわけだけども。

やっぱりそこで大きく痛感したのが動員に関しての力の無さだったんだよね。

結構頑張ってはみたものの服ればだけで見たら、
元締めなのに動員は2人しか稼げなかったし、
他のバンドで結構稼いでくれたところもあったから
ポイントポイントで埋まっている感じは出せたのだけど、
だんだん少なくなっていく瞬間もあって、
それを見ていくとやっぱりかなりしんどいんだよね。
すごい気持ち的に落ち着かなかったしさ。

それで、服ればはそれまで企画をやったことがなかったし、
勝手も全然わからなくて、各会場見えないところでトラブルも結構あった。

今だから言っちゃうけど、
服ればの出番が終わって、中打ちするわけだけども、
自分は会計とかあるし、売り上げをミケラのところへ持って行くために
その後すぐに横浜F.A.Dに集合しなきゃいけないから、
乾杯とかフロア側のほうはユキヲにやってほしかったんだけど、
ユキヲが完全に出し切っちゃって、そのあとの色んな乾杯への運びとか
全部自分に押しつけてね~(笑)。
まぁ急ぎたかったししょうがないからみんなに酒を持たせるようにして、
いざ乾杯するときになったら今度はユキヲがいなくて、
元締めの2人がいなくて乾杯できるわけがないから
色々探し回ったら、楽屋でソファでだらっとしてて、
それを見た瞬間自分が色んな感情ぐっちゃぐちゃになっていたもんだから
本気でぶち切れちゃったりね(笑)。

まぁこれはそれまで役割をはっきり決めてきてなかった
自分にも問題はおおいにあるし、自分も会場の飾り付けとか
その後の片付けとかはわりと任せちゃったからお互い様なんだけどね。

今となってはこれも思い出話。

色々あったし姿勢とか取り組み方とか本当に勉強になった日だったけど、
ただ動員はやっぱり口惜しいところとして残ったんだよね~。
力の無さを強く感じた。他の会場も結構そうだったんだよね。

※このあたりの話はまた別の機会でも出てくるかな~。


一昨日の『奏宴百景』はそのへんしっかりと払拭できたかなと思ってる。
自分が見たい光景を見ることができたし、
ありがたいことに盛況だった。

あとはワイサイの設備の充実さを実感した。
あそこ結構色々なものがそろっているし、100円ローソンがそばに
あるから、いざというときに助けられることが多い。
本当良いハコだと思う。

※昔話をあんまりしてもしょうがないんだけど、
 たまにはこういうのを思い出して書いて残しとかないと
 軸や姿勢となる部分がずれていくのでね。


またさらに次に繋げていくためにもっと精進しようと思う所存である。